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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)15287号 判決 1991年12月20日

原告

ソヴィエト社会主義共和国連邦

右代表者在日ソ連大使

ニコライ・ニコラエヴィッチ・ソロヴィヨフ

右訴訟代理人弁護士

堀合辰夫

水野賢一

右訴訟復代理人弁護士

高橋輝美

石川順子

大野友竹

成田信子

甲原裕子

被告

アクセノフ・エフゲニイ

右訴訟代理人弁護士

山本治雄

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地及び建物について、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  被告は、原告に対し、右建物から退去して、右土地及び建物を引き渡し、かつ、昭和六一年一月一四日から右引渡済みまで一箇月金五〇万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2につき、仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の土地及び建物(以下「本件土地建物」という。)は、もと訴外アレキセイ・ステパノヴィッチ・トカレフ(以下「亡トカレフ」という。)が所有していた。

2  亡トカレフは原告の国籍を有する者であったところ、昭和五四年九月四日、在日ソ連大使館において、原告の法律の方式(作成の日時、場所を記載した遺言者の自筆署名のある遺言書を公証人が認証する。)により、本件土地建物を原告に遺贈する旨の遺言をした。

3  亡トカレフは、昭和五九年一一月三日に死亡した。

4  本件土地建物については、昭和五九年一二月一九日受付による遺贈を原因とする所有権移転登記が被告のためにされている。

5  被告は、昭和六一年一月一四日以降、本件土地建物を占有している。

6  右同日以降の本件土地建物の賃料相当損害額は、一箇月当たり金五〇万円を下らない。

7  よって、原告は、被告に対し、本件土地建物の所有権に基づき請求の趣旨1及び2記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び3ないし5の事実は認める。

2  同2の事実中、亡トカレフが原告の国籍を有していたことは認め、その余は知らない。

3  同6の事実は否認する。

三  抗弁

1  亡トカレフは、昭和五九年九月六日、東京都品川区八潮五丁目一番一―四〇六号所在の訴外武田年義(以下「訴外武田」という。)方において、本件土地建物を被告に対して遺贈する旨を含む公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)をした。

本件遺言は、証人として弁護士横谷瑞穂(以下「横谷弁護士」という。)と訴外横谷七造(以下「訴外七造」という。)の二名が立会い、ロシア語の通事としての能力を有する訴外スティム・エドワード・メナハム(パスポート上の表示は、エドワード・エム・スティム。以下、単に「スティム」という。)を通事として、公証人藤井一雄(以下「藤井公証人」という。)が、亡トカレフからの聴取に基づいて横谷弁護士が遺言内容を記載したメモに従い事前に作成した証書の原案に基づいて、亡トカレフに対し、通事を通じてその内容について各項目ごとに逐一発問し、同人の口授によりそれが同人の意思に基づくものであることを確認した上で、その内容全体を改めて通事を通じて同人に読み聞かせてその承認を得て、手の震えのため署名不能の同人に代わって右証書に代署を行い、同公証人の書記が同人の印鑑を押印し、同公証人が民法九六九条一号ないし四号の方式に従って作成した旨付記し、署名押印して作成したものである。

2  なお、亡トカレフは公正証書遺言を作成する上で必要な程度の日本語を解する能力を十分に有していたものであり、したがって、本件においては、通事の存在は、本件遺言の成立につき、必須の要件ではなく、仮に、スティムがロシア語の通事としての能力を欠いていたとしても、本件遺言の有効性には何ら影響がない(本件遺言作成に通事が立ち会ったのは、藤井公証人において、亡トカレフの母国語がロシア語であることに鑑み、ロシア語の通事を付けることが望ましいと考えたために過ぎないのであって、本件公正証書遺言中の「日本語を解しない」との文言の記載は、かかる書式の例文であって、通訳をつけたことの説明として決まり文句的に記載されたに過ぎない。)。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、証人として訴外七造が立会っていたこと、スティムがロシア語の通事としての能力を有していたこと、藤井公証人が亡トカレフに対し、予め作成した証書の原案に基づき、通事のスティムを通じて、各項目ごとに逐一発問し、亡トカレフの口授によりそれが同人の意思に基づくものであることを確認した上で、その内容全体を改めてスティムを通じて読み聞かせ、その承認を得たことは否認し、その余の事実は認める。

2  同2の事実のうち、亡トカレフが公正証書遺言を作成するに必要な日本語の理解力を有していたことは否認し、その余の主張は争う。

3  本件遺言は、(一) 証人の人数を欠いていた、(二) その作成の際通事として手続を進めたのは、スティムではなく被告であるところ、本件遺言には、通事としての被告の署名捺印がないので、遺言としての必要的記載事項を欠いていた、との理由により、適式な手続を欠いている無効なものである。

五  再抗弁

1  意思能力の欠如

(一) 本件遺言の実質的成立要件(遺言能力)に関しては、法例(平成元年法律二七号による改正前のもの。以下同じ。)二六条一項により亡トカレフの本国法であるロシア共和国民法典(一五条)によって決定されるべきものであるところ、同法典一五条に定める遺言能力とは、日本の民法における意思能力と同一程度の精神能力と解される。

(二) 本件遺言は、亡トカレフの意思能力のない状態で作成されたものである。このことは、次の事実から明らかである。

(1) 亡トカレフは、昭和五九年一月三〇日の時点で、既に、「慢性的且つ不可逆的な脳障害」があり、「方角不見当」の状況であって、本件遺言をした同年九月六日時点でも右同様の精神能力しか有していなかった。

(2) 亡トカレフは、本件遺言作成時点において、持たされたペンを投げ捨てるなど、自分のしている行動を理解できていない様子であった。

(3) 亡トカレフは、本件遺言作成当時九四歳という高齢であり、また、右遺言作成後、僅か二か月で死亡した。

(三) したがって、本件遺言は、ロシア共和国民法典一五条に照らし、意思能力の欠如により無効というべきである。

2  禁治産宣告の存在及び本件遺言の手続違背

(一) 日本国駐在の原告総領事による禁治産宣告の存在

東京駐在の原告総領事ゲー・エム・カルプシキンは、昭和五九年一月三〇日、亡トカレフをロシア共和国民法典一五条の「精神病あるいは精神薄弱のために、自己の行為の意義を理解するか、あるいは、それを支配することのできない市民」に該当する行為無能力者と認定し、同人につき禁治産宣告(以下「本件禁治産宣告」という。)を行い、訴外ニコライ・バクダノフ(以下「バクダノフ」という。)を後見人とした。

(二) 日本国駐在の原告総領事による禁治産宣告の効力

(1) 日本国駐在の原告総領事の権限の範囲について

原告の国内法であるソヴィエト社会主義共和国連邦領事憲章(以下「領事憲章」という。)の規定(三一条)によると、原告から派遣される領事官は、当該接受国との関係において「居住地の国の法律で禁止されていない場合」には、右接受国内の自国民について、禁治産宣告を初めとする各種の裁判審理の権限を有している。

(2) 日本国駐在の原告総領事の権限の承認について

日本国と原告との間の領事関係については、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の領事条約(昭和四二年条約第九号。以下「日ソ領事条約」という。)によって規定されているところ、右の日ソ領事条約においては、日本国内に居住する自国民に対する日本国駐在の原告の領事官の裁判審理の権限については、何ら禁止も制限も加えられていないというべきであり、禁治産宣告の決定権限の行使に関しても、特にこれを禁止又は制限する規定はなく、「接受国の法令に反しない」限り領事官の一般的職務内容の一部として承認される旨定められている(二九条一項後段)。

(3) 禁治産宣告の管轄権

そして、禁治産宣告の管轄権に関して検討すると、法例四条二項の規定は、本件に禁治産宣告の原則的管轄権が存在することを前提として、例外的に居住国の管轄権を認めた規定であり、また、家事審判法七条において準用する非訟事件手続法二条は、日本の裁判所に在外日本人に対する管轄権を認めており、本国の裁判所についても在外外国人に対する管轄権の存在を認める趣旨を類推することができる。

(4) 本件禁治産宣告の渉外的効力

日本国駐在の原告総領事は、右のとおり、原告の国内法上禁治産宣告についての審理権限及び管轄権を付与され、日本法によってもその権限を付与されているというべきところ、本件禁治産宣告は、右原告総領事により本国法に基づき、本国法所定の手続に準拠して適法に行われたものであって、その効力は被宣告者の居住地である日本国内においても承認されるべきであり、日本の家庭裁判所による禁治産宣告と同様の効力を認められるべきである。

(三) 本件遺言の手続違背

禁治産者が本心に復したときにおいて遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならず、遺言に立ち合った医師は、遺言をするときにおいて心神喪失の状況になかった旨を遺言書に付記して、これに署名捺印しなければならないが(民法九七三条)、藤井公証人は、この手続を全く履践せずに本件遺言書を作成した。

したがって、本件遺言は、民法九七三条の定める方式に違反し、無効である。

六  再抗弁に対する認否

1(一)  再抗弁1(一)、(三)は争う。

(二)  同1(二)のうち、(3)は認め、(1)、(2)は否認する。

2(一)  同2(一)は否認する。

本件禁治産宣告は、ロシア共和国民事訴訟法典の定める手続に依拠しておらず、手続上無効である。

(二)  同2(二)及び(三)は争う。

禁治産宣告は、個人の行為能力を剥奪するものであり、公権力の行使となるものであるところ、自国民であっても、外国の領域内にある限り、国家は原則として当該国民に対し権力作用を行うことができないというべきである。

領事機関が接受国において自国民に対し禁治産宣告をすることは、接受国の領域主権を侵害することになり、国際条約、国際慣行上も認められていないのであって、これが例外的に許容されるためには、当該接受国の同意の存在が必要となる。しかるに、日ソ領事条約において、日本国が原告に対してそうした同意を与えていると解される規定は存しない。

したがって、日本国駐在の原告総領事につき、禁治産宣告の権限を認めることはできない。

禁治産宣告の管轄に関しては、本国の管轄を否定して居住地国の管轄のみを認めるべきであり、法例四条二項の規定は、例外的に居住地国の管轄を認めたものではなく、もっぱら居住地国の管轄を認めた規定と解すべきであるから、禁治産宣告に関しては、そもそも本国である原告の裁判機関の管轄権自体が認められないというべきである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因について

請求原因1及び同3ないし5の事実並びに同2の事実中、亡トカレフが原告の国籍を有していたことは当事者間に争いがなく、同2のその余の事実は、<書証番号略>及び弁論の全趣旨により、これを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二抗弁及び再抗弁1(意思能力の欠如)について

1  <書証番号略>、証人横谷瑞穂、同藤井一雄及び同エドワード・エム・スティム(後記措信しない部分を除く。)の各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  亡トカレフは、一八九〇年(明治二三年)三月一二日に、現在の原告(ソ連)のロシア共和国において出生したロシア人であり、大正一二年ころ日本に入国し、以後、日本人を相手に洋服などの行商を行って生計を立て、本件土地建物等の財産を築いたうえ、昭和五九年一一月三日に九四歳で死亡するまで約六〇年間にわたって日本に居住していた者である。

(二)  被告は一九二四年(大正一三年)、当時の満州ハルピンで出生した白系ロシア人であるが、昭和一八年に日本に入国し、その後日本の医師免許を取得し、昭和三五年ころより本件建物において診療所を開設している医師である。

(三)  亡トカレフと被告は、昭和一八年ころ知り合い、同じロシア正教会の信者として、また在日同胞として交際が始まったが、右のように被告が医師となった後の昭和三五年ころからは亡トカレフが本件建物を被告に診療所として賃貸するようになり、その後は亡トカレフの疾病の際に治療にあたるなど被告が亡トカレフの主治医としての役割を持つようになった。

(四)  亡トカレフは、九〇歳を越えても特に重篤な身体的疾患を有してはいなかったが、昭和五七年一一月末ころ、青木病院において、肝不全、変形性脊椎症等と診断され、入院した。入院後二箇月程して、亡トカレフは、訴外青木医師から退院の勧めを受けたが、独り暮らしの同人は、病院での生活を希望したため、入院生活は約一年間続けられ、同五八年一二月初旬ころまで同病院に入院していた。

亡トカレフは生涯独身で過ごし、妻や子などの家族はいなかったが、昭和三八年ころ訴外武田二三子(以下「訴外二三子」という。)と知り合い、その後昭和四五年に同女が結婚した後はその夫及び子供達をも交えた家族ぐるみの交際を続けていたことから、亡トカレフの右入院中は訴外二三子が同人の身の回りの世話などをするため同病院をしばしば訪れていた。

亡トカレフは、子供好きで訴外二三子夫妻(以下「訴外武田夫妻」という。)の二人の子供を大変かわいがり、昭和五二年ころから、その子供達のために当時自分が住んでいた目黒区内の所有土地建物(以下「目黒の物件」という。)を死後訴外武田夫妻に与えたい旨を同夫妻に対してしばしば述べていたが、右入院中の同五八年夏ころ、訴外二三子に対し、その具体的方法を相談した。そこで、訴外二三子は以前に他の要件で依頼したことのある横谷弁護士に連絡を取り、同弁護士は、病院を訪れて、訴外二三子の立会いのもとで亡トカレフと面談したところ、亡トカレフから、訴外武田夫妻に対し目黒の物件を譲り渡すにはどうしたらよいかとの質問を受け、公正証書遺言の方法などについて説明をした。その際、横谷弁護士は、亡トカレフとの間で日本語により円滑に意思の疎通を図ることができ、同人の精神状態について特段の疑念を抱かなかった。

また、訴外青木医師も、青木病院に入院中の亡トカレフの様子については、九〇歳を越える高齢者にみられがちな脳動脈硬化症による若干の反射神経の鈍麻や足腰の衰え及び時折興奮状態がみられるものの、通常人としての正常な判断力及び表現力を有しているものと判断していた。

(五)  その後、亡トカレフは、昭和五八年一二月初旬ころ、被告の取り計らいで、青木病院から外国人の患者の多い東京都新宿区所在の聖母病院へ転院し、更に翌五九年同病院から城南病院へと転院するに至ったが、同年四月ころ、被告は亡トカレフから連絡を受け同病院へ赴いたところ、亡トカレフは原告が不動産の名義を原告に移すよういってくるが、自分としては、これまで世話になった訴外武田夫妻に不動産を与えたいし、被告に対しても療養費用や死亡後の葬儀、法事等の費用を負担してくれるならば、現在賃貸中の本件土地建物を与える旨申し出、被告は、亡トカレフにそのような意思があるのであれば弁護士に相談してきちんと書面にした方がよいと考え、その旨亡トカレフに述べた。

(六)  亡トカレフは、その後、城南病院を退院したが、昭和五九年七月五日、脱水症状のために、再度青木病院に入院した。担当医である訴外青木医師の診断及び観察によれば、その当時においても、亡トカレフの精神状態に問題はなく、同人は、通常人としての正常な判断力及び表現力を有していると認められた。

その後、亡トカレフは脱水症状が軽快して食欲も回復し、同月一三日に自らの意思で青木病院を退院し、訴外武田夫妻宅に引き取られて訴外武田夫妻の介護の下に生活するようになった。そして、昭和五九年八月に入ると、亡トカレフは、訴外二三子に対し、以前横谷弁護士から説明を受けた書類を作成したいので、同弁護士を呼ぶようにと頼んだ。そこで、訴外二三子は、横谷弁護士に連絡を取ったところ、遺言の内容についての具体的なメモを作成するよう指示されたため、同月一四日ころ、被告を交えて、亡トカレフから、どの物件を誰に与えるか、また預金の配分はどうするかなどについて同人の意思を確認し、その内容を記載したメモを作成した。

その後訴外二三子から連絡を受けて同女宅へ赴いた横谷弁護士は、亡トカレフと面談し、右メモの内容について本人の意思を確認した。その間、横谷弁護士は、亡トカレフから、必要に迫られて財産を処分した場合に遺言の効力はどうなるかといった具体的質問も受けており、亡トカレフの精神状態についてはいささかも疑念を抱かなかった。横谷弁護士は、右面談の際に亡トカレフから確認した事項を自らメモし、最終案を作成したうえで、同月一七日藤井公証人に右メモの写しを渡して、遺言内容の説明をし、公正証書遺言の作成を依頼した。

その際、横谷弁護士から藤井公証人に対し、亡トカレフは既に約六〇年間日本で生活していた者であり日本語をよく理解し日常会話には全く支障がなく、遺言の件についても横谷弁護士と日本語で打合せをするなど日本語の能力は十分有しているとの説明がされたが、藤井公証人としては、外国人の遺言については、遺言の重大性及び遺言者の意思尊重の必要性に鑑み、日本語を解する者についてもその母国語で遺言をさせ、通事を付けるべきであると考え、結局、横谷弁護士においてロシア後の通事を同行することとなった。

(七)  藤井公証人は、右一七日の横谷弁護士との打合せ後、公正証書作成手続を行う前に予めその原案を作成しておくこととし、横谷弁護士から渡された前記メモに基づき、所定の用紙にその内容を実際の文例に従って記入して遺言公正証書の原案を作成した。

(八)  かくして、昭和五九年八月二三日、東京都品川区<番地略>の訴外武田夫妻宅に、亡トカレフ、訴外武田夫妻、横谷弁護士、その事務員である訴外七造、藤井公証人、その補助者として同行した書記及び被告が集まり、公正証書遺言の作成手続が開始された。

藤井公証人は、しばらく雑談した後、被告を通訳として亡トカレフに対し、前記の証書の原案に基づき各項目ごとに遺言の内容について確認を行ったところ、亡トカレフは、いずれもそのとおり間違いない旨を回答した。そこで、藤井公証人は、右証書の原案について被告を通じ改めて遺言内容全体を読み聞かせ、亡トカレフに署名を求めようとしたが、その段階で、通事を担当した被告が同時に受遺者でもあることに気づき、このままでは、手続上問題があるのではないかと考え、その日はそこまでで手続をやめ、後日改めて被告以外の通事を付けて遺言手続を行うこととした。

(九)  同年九月六日、再び訴外武田夫妻宅に、前回出席した者が集まったほか、通事として、被告の経営する病院に勤務する医師であり亡トカレフとも面識があるスティムが、被告に同行した。スティムは、米国ニューヨーク生まれで、米軍の語学学校において、一週間に五日、一日六時間の割合で九箇月間ロシア語を学び、その後、在日米軍の情報係として札幌市においてソ連軍の空軍機の無線を傍受する任務に従事していた者であり、その父は現在ソ連領となっているウクライナ地方で生まれ、その後アメリカへ移民した者である。

藤井公証人は、受遺者である訴外武田夫妻及び被告を隣接する別室に待機させ、横谷弁護士及び訴外七造を証人とし、スティムを通事として直ちに手続を開始し、スティムの通訳によって亡トカレフに対し、前回と同様、証書の原案の各項目ごとに確認を行い、亡トカレフからいずれも間違いない旨の回答を受けたうえで、再び右証書の原案について遺言内容全体を読み聞かせた。その間、亡トカレフは、スティムの通訳を介して藤井公証人と問答を交わし、通訳の内容等について何ら異議を述べなかった。

そして、本件遺言の署名については前回も試みたが、当日も改めて書記を通じ試みたところ、やはり、手の震えのために所定の行間に収まらず判読不能の状態であったため、藤井公証人は、署名不能と判断し、亡トカレフの承諾を得た上で、民法の規定に従い証書に自ら代署しその旨を付記した上で署名押印をし、同公証人の書記が亡トカレフの印鑑を預かってその場で押印した。

なお、亡トカレフは日本語による日常的な生活上の会話には何らの支障もなく、藤井公証人とも日本語で会話をしていたのであるが、手続自体は通事を通して行われたことから、藤井公証人は、遺言書上には、かかる場合の例文として用いられる「遺言者は日本語を解しないから通事をして証書の趣旨を通訳せしめ」との文言を記載した。そして、右手続に立ち会った横谷弁護士及び訴外七造が証人として右証書に署名押印し、通事を担当したスティムもこれに署名して、本件遺言公正証書作成の手続は終了した。

(一〇)  右二回にわたる一連の手続の過程で、亡トカレフは、藤井公証人に対し遺言内容等について説明したり感想等を述べたりしているほか、自分もかつて海軍の将校であったこと、国籍を取得するために一時半年くらいソ連領に帰国したことがあること、当日自分のことを考えてくれる人が大勢集まってくれたことを嬉しく思っていることなどを語り、それらの発言や会話の中には日本語で直接語られたものも多く含まれていた。そして、亡トカレフは、当日通訳のために訴外武田宅を訪れたスティムに対しても丁重に謝辞を述べた。このように、亡トカレフは、遺言内容について十分な理解を示すとともに、常識的な内容の発言に終始しており、右手続を主催した藤井公証人においても、亡トカレフの理解力、判断力等については全く問題がないものと判断していた。

2  なお、証人スティムは、その証言中で、スティムは、被告から本件遺言作成の際の証人ないし立会人になるよう依頼されて、昭和五九年八月二三日に訴外武田夫妻宅へ赴いたこと、その日は亡トカレフが署名をしなかったため遺言書の作成ができず、同年九月六日に再度訴外武田宅へ行ったこと、その時は前回出席していた訴外七造は欠席しており、被告が通訳をしたこと、スティム自身は、ロシア語では自分の名前を紹介することや「今晩は」等の挨拶をするくらいの簡単な会話しかできず、ロシア語の通訳をすることはできないこと、本件遺言書には証人として署名したに過ぎないこと等の供述をしており、<書証番号略>には、同旨の記載がある。

しかしながら、スティムが訴外武田夫妻宅を訪れたのは九月六日が初めてであったことについては、他の立会人の一致した供述である上、スティムの供述によっても、八月二三日はスティムを除いた出席者だけで公正証書を作成するに必要な証人の人数を満たしており、被告が敢えてスティムを立会人として同行させる必要がなかったこと等からすると、この点に関するスティムの供述等は信用し難いし、また、前記認定のように、九月六日は、亡トカレフがスティムの通訳について何らの異議を述べることもなく、その通訳に従って遺言内容の確認等の問答を行っていたこと、スティムがかつて米軍の語学学校でロシア語を学び、在日米軍でソ連空軍機の無線を傍受する任務についていたこと等からすると、ロシア語の能力に関するスティムの供述等もまた信用し難いといわざるを得ず、結局、前記1の認定に反する前記スティムの供述及び記載部分は、いずれもたやすく措信することができない。

3  前記1で認定したところによれば、被告主張の抗弁事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、抗弁事実中、証人として訴外七造が立ち会っていたこと、スティムがロシア語の通事としての能力を有していたこと、藤井公証人が亡トカレフに対し、予め作成した証書の原案に基づき、通事のスティムを通じて、各項目ごとに逐一発問し、亡トカレフの口授によりそれが同人の意思に基づくものであることを確認した上で、その内容全体を改めてスティムを通じて読み聞かせ、その承認を得たこと、を除く事実は当事者間に争いがない。)。

そして、本件遺言の方式は、行為地法であり住所地法でもある日本法上適法なものと認められるから、遺言の方式の準拠法に関する法律二条一、三号によりその適法性が承認される。

4  また、遺言の実質的な成立(遺言能力、意思表示の瑕疵の存否等)及び効力(効力発生の時期及び要件)に関しては、法例二六条一項によると、遺言作成当時における遺言者の本国法がその準拠法となる。ところで、亡トカレフの本国である原告は、当時一五の共和国からなる連邦共和制をとっており、このようないわゆる不統一法国の場合に、その中のいずれの法域の法律を選択するかについては、法例二七条三項に従い、まず本国の準国際私法の定める基準に従ってこれを選択すべきものと解されるが、原告の準国際私法規定において、本件に関し、原告の各共和国中のいずれの法域の法律を選択すべきとされているかは必ずしも明らかではない。そこで、本件においては、諸般の事情を考慮した上で、当事者と最も密接な関連を有すると認められる法域の法律を選択すべきものと解されるところ、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、亡トカレフはロシア共和国の出身であり、かつて同国内のクバン地方に居住していたことが認められ、また、ロシア共和国は原告の一五の連邦構成共和国中最大の共和国であることなどに鑑みると、本件における亡トカレフに関しては、ロシア共和国民法典をもってその本国法と解するのが相当である。

ところで、ロシア共和国民法典は、その五六七条において、「相続関係は、被相続人が、最後の、恒久的な住居地を有していた国の法律によって定められる。」(同条一項)と規定するとともに、「遺言の作成および取消、遺言の形式、およびその取消書類は、遺言者がその書類を作成した時に、恒久的な住居地を有していた国の法律によって定められる。」(同条二項本文)と規定している(<書証番号略>)。そして、これらの規定に照らすと、本件における遺言者の本国法であるロシア共和国の国際私法規定は、遺言を含めた相続関係全般(同条三項に定める原告の領土内に存する建物の相続関係を除く。)についてその準拠法を被相続人(遺言者)の住所地法と指定しているものと解されるのであって、本件遺言の遺言者である亡トカレフの住所地は、死亡時及び遺言時いずれの時点においても日本国内であった以上、本件遺言の成立(遺言能力等)及び効力(取消しも含む。)に関しては、法例二九条に基づき、いわゆる反致が成立し、その準拠法は日本法であることになる。

5  そこで、再抗弁1の事実(亡トカレフの意思能力の欠如)について判断するに、前記1に認定した事実によれば、本件遺言の骨子は、当時九四歳の亡トカレフが、生前親しく交際し相当な援助を受け、これからの余生を託そうと考えていた訴外武田夫妻及び主治医である被告に対し、それぞれ重要な財産である土地建物を遺贈(被告については、爾後亡トカレフの生存中無償で治療等の援助を行い、同人の死後も葬儀、埋葬等一切を主宰することなどを内容とする負担が付されている。)することをその主たる内容とするものであって、右遺言の内容とともに遺言書作成に至る経緯、右作成当時の亡トカレフの言動並びに亡トカレフに接した青木医師、横谷弁護士、藤井公証人及び被告の観察結果等、前記1認定の諸事実を総合考慮するならば、本件遺言は亡トカレフが意思能力を有する状態の下で真意に従ってなされたものであるということができる。

(一)  これに対し、原告は、まず、被告作成にかかる一九八四年(昭和五九年)一月三〇日付けの診断書(<書証番号略>)には亡トカレフの病状につき「慢性的かつ不可逆的な脳の障碍」、「方角不見当」などの記載があり、亡トカレフは右時期においてすでに意思無能力の状態にあった旨主張する。

しかしながら、<書証番号略>、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右診断書は、訴外バクダノフらから亡トカレフに然るべき介護人を原告により付してもらうために必要であるとの説明を受けた被告が、従前から聖母病院の担当医との間で、亡トカレフの生活先として老人ホームなどの施設を検討していたこともあり、亡トカレフが然るべき施設において適当な介護者の下で介護を受けられるようにとの配慮から、かかる高齢者について介護施設及び介護者の必要性を認証する場合の定型的な文例をそのまま採用して作成したものであって、右診断書の文面は、介護の必要性を強調するために亡トカレフの症状を過度に誇張したものとなっており、同人の症状に対する被告の現実の認識を表したものではなかったことが認められる(<書証番号略>、右認定に反する部分は採用しない。)。したがって、右診断書をもって原告の右主張を基礎づけることはできない。

(二)  また、亡トカレフが遺言作成当時、ペンを投げ捨てるなど自己の行為を理解していない様子であったと認めるに足りる証拠はない(この点に関する証人スティムの証言等は、前記1認定の事実に照らし採用できない。)。

(三)  また、亡トカレフが本件遺言書作成当時九四歳であり、その後、約二箇月で死亡したことは当事者間に争いがないが、意思能力は人の意識作用、精神状態に関わる能力であるところ、同人の死因は心臓の疾患という身体的原因に基づくものであること(<書証番号略>)に鑑みると、本件遺言書作成後二箇月で死亡したとの事実を以て、直ちに同人の意思能力の欠如の事実を認めることはできない。

そして、他に再抗弁1の事実を認めるに足りる証拠はない。

三再抗弁2(禁治産宣告及び本件遺言の手続違背)について

1  <書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、再抗弁2(一)の事実(日本国駐在の原告総領事による禁治産宣告の存在)が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  そこで、本件禁治産宣告の効力について判断する。

国際上、特定の国家の国家機関による公権力の行使が可能なのは、その国家の領土主権の及ぶ範囲、すなわち自国領域内に限られるのが原則であり(属地的管轄権)、自国民であっても、その者が他国の領域内に居住又は滞在している限り、その者は専ら当該居留地国の主権の下に服するのであって、本国の国家は原則として当該国民に対し公権力を行使することができず、特に居留地国の同意がある事項についてのみ例外的にその行使を許容されることがあり得るに過ぎないというべきである。しかるに、禁治産宣告は、国家機関が個人の行為能力に制限を加える行為であり、公権力、特に広義の裁判権の行使たる国家行為であるから、右のとおり、領事官がこれを他国の領土主権の下で自国民に対して行うことは原則として認められず、特に当該接受国の同意がある場合に限り例外的に許容されるにすぎないと解するのが相当である。

そこで、日本国駐在の原告の領事官が禁治産宣告を行うことの可否につき、接受国たる日本国の同意の有無が問題となるところ、領事関係に関する日ソ両国の二国間条約である日ソ領事条約(<書証番号略>)は、領事官の接受国内における職務権限の範囲に関して、二九条一項前段において「領事官は、その領事管轄区域内において、この部に定める職務を遂行する権利を有する。」との規定を置くとともに、三〇条ないし四二条において、右職務の内容を個別的かつ詳細に列挙している。そして、右規定の体裁からすると、三〇条ないし四二条の各規定に列挙された事項は制限的列挙であることが明らかであるところ、右諸規定の中には禁治産宣告に関する規定は存在せず、むしろ、三七条で、領事官が接受国の裁判所等に対して後見人を推薦することを認めるに止まっている。右によると、同条約は、禁治産宣告はもとより、これに付随する後見人の選任についても、その権限を領事官に対して許容してはおらず、これを列挙事項から除外しているものと解するのが相当である。この点について、原告は、同条約二九条一項の後段の「接受国の法令に反しないその他の領事職務」の中に右の権限が包含されると主張するが、同規定は、右の制限的列挙事項以外の付随的事項で、かつ、当該事務の性質上特に接受国の法例において領事官の権限として許容されていることが明白な事項を指すものと解されるところ、日本の国内法上も禁治産宣告の権限を領事官に委ねることを定めた法令は存在せず、同条約の趣旨も、前記のとおり禁治産宣告の権限を領事官の職務権限から除外しているものと解されるのであって、同条約の解釈として右二九条一項後段の「その他の領事職務」の中に禁治産宣告の権限が含まれると解する余地はないというべきである。このように、日ソ領事条約においても、日本国駐在の原告の領事官につき禁治産宣告の権限を承認する旨の規定は存在せず、他に日ソ両国間において領事官の右権限を定めた取決めは存在しない。

そうすると、日本国駐在の原告総領事には日本国内において在日ソ連人に対し禁治産宣告を行う権限は認められていないものと解するのが相当であるから、本件禁治産宣告は、そもそもその権限を欠くものとして、その効力を有しないものと解される。

3  したがって、その余の主張について判断するまでもなく、再抗弁2は理由がない。

四以上によれば、本件遺言は、遺言者の死亡のときからその効力を生ずるものというべきところ(民法九八五条一項)、民法一〇二二条、一〇二三条一項によれば、遺言者は遺言の全部又は一部を取り消すことができ、前の遺言と後の遺言との間に矛盾抵触する部分があるときは、後の遺言によって前の遺言の全部又は一部が取り消されたものとみなされる旨定められているので、亡トカレフが以前に原告との関係でした請求原因2の遺言は、その後にされた本件遺言と矛盾抵触するものであるから、本件遺言によってその全部が取り消されたものとみなされる。

五以上の次第で、原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤久夫 裁判官山口博 裁判官花村良一)

別紙物件目録

(一) 所在 東京都港区麻布台一丁目

地番 参壱四番弐七

地目 宅地

地積 289.12平方メートル

(二) 所在 東京都港区麻布台一丁目参弐四番地弐七

家屋番号 同町参六番

種類 居宅

構造 木造コンクリート亜鉛メッキ鋼板葺弐階建

床面積 壱階 154.97平方メートル

弐階 88.89平方メートル

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